2008年2月26日火曜日

お休みⅱ

25・26の二日間はOFFです。
ただし、iwatoでは稽古場の仕込みが行われています。

さて、今日はビューヒナーが『ダントンの死』を書いたとき、グツコーに送った手紙をご紹介します。


「グツコーへのビューヒナーの自己推薦文」

あるいは他の人の例をご覧になったり、ひょっとして不運な場合はご自身の経験をつうじて、どのような配慮も忘れさせ、どのような感情も黙らせるほどの困窮というものが存在することを、あなたはご存知でしょう。そのような場合は、むしろ飢えて死んでしまう方がよい、と主張する人々も確かにいます。しかし最近盲目となって路地に住む大尉の例により、私はこの主張に反論することができます。この大尉は、生きながらえることによって家族を年金で養うことを強いられているのでなければ、銃で自殺すると明言しています。これは驚くべきことです。この世で難破して水中に身を投じようとしても、自分の体を錘にすることができないというような、これと似た状況が、他にもありうることを、あなたならお分かりでしょう。それゆえ、私が扉を押し破りあなたの部屋に侵入し、胸元に原稿をつきつけて、施しを強要しても、あなたは驚かれないでしょう。すなわち、この原稿を可能な限り迅速にお読みくださり、あなたの批評家としての良心が許すならば、これをザウアーランダー氏にご推薦のうえ、すぐにお返事くださるよう、お願いします。 作品そのものについては、不幸な状況のせいで、せいぜい5週間で書き上げざるをえなかったということしか言えません。こんなことを申しあげるのは、ドラマ自体についてではなく、作者についてあなたに判断していただきたいためです。それがどういう意味を持つのか、私自身わかりません。分かっていることは、私には歴史に対して恥じ入るべき理由が山のようにあるということだけです。しかし、シェイクスピアを除けば、すべての作家は歴史と自然を前にして、小学生のように立ちつくすしかない、と考えて、私は私自身を慰めています。 急ぎお返事くださいというお願いを、繰り返させていただきます。私にとって好都合な判断をいただけた場合、あなたの手になる数行の手紙が次の水曜日までに当地に届けば、一人の不幸な人間を悲しむべき状態から救うことができます。 この手紙の調子が奇異に思われるならば、燕尾服姿で請願書を出すよりはぼろをまとって物乞いする方が私には簡単であること、震える唇で「神のご加護を!」とささやくよりはピストルを手に「財布か、命か!」という方がずっと簡単であるということを、ご考慮いただければ幸いです。

(1835年2月21日、グツコー宛の手紙より 中島裕昭訳)


ビューヒナーはこの『ダントンの死』の原稿料をみずからの逃亡のための費用にあてようとしていたと言われています。
それでなくても、グツコーに宛てられたこの手紙からはビューヒナーが「ダントンの死」にかけている何かがあることを感じることができます。

ビューヒナーの時代からもう2世紀近くがたとうとしています。
どうして私たちは『ダントンの死』というテクストを現代のトーキョーで発語しようとするのでしょうか。

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