2008年2月29日金曜日

2月29日 2月が終わる

本日のMENU
昨日のナジの感想
1 ゲーム
2 飼育
3 木馬
4 挿話/思い出(溺死者の?)
5 告発
6 ダンス
7 子午線
8 地球空洞説
9 待機

昨日のつづき。
シーンの構築。(への手がかりつかみ)

昨日からの続きで、大げさな言い方をすれば、現代日本演劇の身体とは何か、ということを考えながら今日の稽古にいった。
現代日本演劇の身体といっても、あまりにも精度の低い問題設定なので、
じゃあ、どうやって分節化していくことができるのか、と考えているうちに、
煮詰まったので、とにかく見えるものを自動筆記的に書いてみることにした。
5人の身体を一気みて、かきとめることは難しいと思ったので、
最後のランのときに、(1~9の途中まで)、とにかく武内さんだけをみて(なんで武内さんかというと、とりあえず沈黙だから!)、武内さんがしているように見えることをとにかくとにかく書き続けた。
パフォーマンス・テクストはこの方法では記述できないということがわかったが、
それ以上に、身体を分節化するための語彙が少なすぎる、ということに気づいた。
仮に、身体を言葉で語ることが出来るとして、じゃあ、どんな言葉をつかったらいいのだろう。

2008年2月28日木曜日

2月28日 ナジのヴォイツェク

本日のMENU
1 ゲーム
2 飼育
3 木馬
4 挿話/思い出(溺死者の?)
5 告発
6 ダンス

Josef Nadj WOYZECK 観賞

手法を変えて、本日も構築への手がかりをさぐる。
ふと、とっても「日本の」身体を見ていることに気づいた。
笛田さんが時折ダントンに見えるのだけど、
やっぱり日本の身体だ。

稽古場でNadjのWOYZECKを見た。
生憎映像のコンディションが良好とはいえず、なんだかコマが止まったままカチカチ進むので
活人画みたいだったけど。
台詞を使わず表現したこのヴォイツェックは日本では2000年にシアタートラムで上演されたものだ。
こっちの身体はとても強靭で肉そのものの暴力を感じる。
なのに軽快なユーモアがまざる。

日本の(演劇的)身体とはなんだろうか。
単純に重心が下だとか、そういうことだけではないんだと思うけど、
まだ私には語る術がない。

2008年2月27日水曜日

2月27日 構築への手がかり

4日ぶりにiwatoに戻って稽古再開。

3週目の今日からは「構築への手がかりをつかむ」週。

本日のMENU
1 ゲーム
2 飼育
3 木馬

いくつかの舞台セットが仕込まれた稽古場の中で、
即興をきらずに、どのように手続きを組み込んでいくか。

声1、2、3、4の声が、ただの声から顔の見える声になる瞬間がある。
「部屋」が、どこかにある大きな宇宙のような広がりをもつときがある。
あの「フランス革命」とは違う、現代の何かがここに起こっているのだろうか。

2008年2月26日火曜日

お休みⅱ

25・26の二日間はOFFです。
ただし、iwatoでは稽古場の仕込みが行われています。

さて、今日はビューヒナーが『ダントンの死』を書いたとき、グツコーに送った手紙をご紹介します。


「グツコーへのビューヒナーの自己推薦文」

あるいは他の人の例をご覧になったり、ひょっとして不運な場合はご自身の経験をつうじて、どのような配慮も忘れさせ、どのような感情も黙らせるほどの困窮というものが存在することを、あなたはご存知でしょう。そのような場合は、むしろ飢えて死んでしまう方がよい、と主張する人々も確かにいます。しかし最近盲目となって路地に住む大尉の例により、私はこの主張に反論することができます。この大尉は、生きながらえることによって家族を年金で養うことを強いられているのでなければ、銃で自殺すると明言しています。これは驚くべきことです。この世で難破して水中に身を投じようとしても、自分の体を錘にすることができないというような、これと似た状況が、他にもありうることを、あなたならお分かりでしょう。それゆえ、私が扉を押し破りあなたの部屋に侵入し、胸元に原稿をつきつけて、施しを強要しても、あなたは驚かれないでしょう。すなわち、この原稿を可能な限り迅速にお読みくださり、あなたの批評家としての良心が許すならば、これをザウアーランダー氏にご推薦のうえ、すぐにお返事くださるよう、お願いします。 作品そのものについては、不幸な状況のせいで、せいぜい5週間で書き上げざるをえなかったということしか言えません。こんなことを申しあげるのは、ドラマ自体についてではなく、作者についてあなたに判断していただきたいためです。それがどういう意味を持つのか、私自身わかりません。分かっていることは、私には歴史に対して恥じ入るべき理由が山のようにあるということだけです。しかし、シェイクスピアを除けば、すべての作家は歴史と自然を前にして、小学生のように立ちつくすしかない、と考えて、私は私自身を慰めています。 急ぎお返事くださいというお願いを、繰り返させていただきます。私にとって好都合な判断をいただけた場合、あなたの手になる数行の手紙が次の水曜日までに当地に届けば、一人の不幸な人間を悲しむべき状態から救うことができます。 この手紙の調子が奇異に思われるならば、燕尾服姿で請願書を出すよりはぼろをまとって物乞いする方が私には簡単であること、震える唇で「神のご加護を!」とささやくよりはピストルを手に「財布か、命か!」という方がずっと簡単であるということを、ご考慮いただければ幸いです。

(1835年2月21日、グツコー宛の手紙より 中島裕昭訳)


ビューヒナーはこの『ダントンの死』の原稿料をみずからの逃亡のための費用にあてようとしていたと言われています。
それでなくても、グツコーに宛てられたこの手紙からはビューヒナーが「ダントンの死」にかけている何かがあることを感じることができます。

ビューヒナーの時代からもう2世紀近くがたとうとしています。
どうして私たちは『ダントンの死』というテクストを現代のトーキョーで発語しようとするのでしょうか。

2008年2月24日日曜日

2月24日 2nd WEEK 終了

本日のMENU
本読み×3回


舞台上に男3
客席に男1、男2、女、鼠。男3にむかって台詞を投げかける。
女、鼠はそれぞれ自分の最初の台詞のあと、男3の作った空間に入り、
それぞれ最後の台詞のあと、舞台から出て行く。

身体の即興と、本読みを融合。
武内さんの身体に、台詞が跳ね返り、客席に届く。

第2週が終了。
この6日間はひたすらに台詞を覚え「ことば」をことばのまま発する訓練。
かかげた目標は達成。
「ことば」をコンテクストから切り離し、「ことば」として伝える。

2日間稽古はお休み。
構築の第3週は目前。

2008年2月23日土曜日

2月23日 稽古@手織座

本日のMENU
本読み
イメージの即興

部屋。扉、ひとつ。窓はない。
天井を突き抜いて、鉄製の円柱が床に届いている。古びた木馬の回転軸(すると部屋は地下室だろうか?)

テーブルを囲んで4人(男1、2、3、鼠)が、おのおののルールによってカード・ゲームをつづける。


なんの部屋?どこの部屋?
なんでそこにいるのか?
いつ?
互いの声は聞こえているのか?

『ダントンの死について』のテクストからのイメージを即興で膨らませていく。
身体ではなく、脳内のイメージ。
iwatoを離れて2日間だけお世話になる手織座のアトリエは、
ことばの染み付いた空間。
鴎座も今日は「ことば ことば ことば」
舞台上で自由になるための第一歩。

2008年2月22日金曜日

2月22日 鰊

本日のMENU
GAME(ポーカー)からの即興(約60分)
本読み
滝本エチュード「水」
水無エチュード「美しい窓」


5告発
声1  (略)連中は酔いつぶれない。金がないからだ。娼婦を買わない。吐く息が、チーズやニシン臭くて、彼女たちが相手にしてくれないからだ。

『ダントンの死』では1幕5場のラクロワのこの台詞。
くさいニシン??
和食では焼き魚(身欠き鰊)、煮付けのイメージがありますが、
ニシンは臭いのか。。。
素朴な疑問!

スウェーデンの伝統的な食べ物でシュールストレミングというとっても臭い醗酵ニシンは有名ですが、フランス革命下の民衆が、この食べ物をたべていたのかは、不明。
KONTAさん説によれば、フランスにもやはり酢漬けの醗酵系ニシン料理があって結構におうそうです。どんな臭いかな~。

2008年2月21日木曜日

2月21日 カードゲーム

本日のMENU
本読み×3回
ポーカー

今日は、GAMEからの即興ではなく、本気のポーカー。
偽のお札を握り締めて、ちょっと白熱気味の出演者。
やっぱりお金がかかると違うのね。

明日は「水」「美しい窓」の即興の予定。


2008年2月20日水曜日

2月20日 来月初日

本日のMENU
本読み×3回
GAMEからの即興(30分程度)

本読みは大体1回につき40分前後。
今はひたすら台詞を覚える時です。
演劇をやるときに唯一おもしろくない作業がこの「台詞覚え」の作業だそうで。
でもこの作業を丁寧にやっておくことが、あとの自由さにつながってくるので、
ケーキをやくのに、ちゃんと粉や砂糖を篩っておくようなことなんじゃないかと。

発語の種類は、速さ・大きさ・声色・リズムによって分かれます。
同じように喋る(真似をする)にはこれらの要素がどのように使われているのかを意識するし、
まったく違うように喋るには、どの要素をどっちの方向に切り替えればいいのかを意識するようになります。

余談ではありますが、夏にご一緒したユディ・タジュディンさんの身体をつかったワークショップを思い出しました。歩くという行為にも速さ・(歩く姿勢の)高さ・歩き方の要素があって、真似をする/何か一個を変えることを意識して一定時間歩くものがありました。

相手の発語の要素にすばやく反応して、まず同じことをして、すぐにそれを変化させる。なるほどこれがうまくいくと、テクストはつながり流れていくのです。

2008年2月19日火曜日

2月19日 Langeweile

2nd WEEK が始まりました。
今日のMENU
・本読み×3
・GAMEからの即興

3回目の本読みのあと、笛田さんと「退屈」の話をしました。
ビューヒナーの作品の中にはLangeweile(退屈)という言葉が多く登場します。
このLangeweileはもともとはLong while=長い間という語源があるようです。
時間が長く感じる(長すぎる)→退屈 ということになります。

ビューヒナー死後に発表された小説『レンツ』でも、この「退屈」が一種のキーワードとして登場しています。

   本当に僕があなたのように、気持のいい暇つぶしが見つけられるほど
   幸福ならいいんですが、それなら時間をうまく埋められることでしょう。
   すべては怠惰だからですよ。大抵の人は退屈だからお祈りをする。退
   屈から他人に惚れる人もいます。三番目の奴は道徳的になり、四番目
   は悪徳に耽る。ところが僕はどれでもない。全然駄目です。自殺する気
   さえないんです。自殺も退屈すぎますから!     
                    (『レンツ』岩淵達治 訳 岩波文庫 2006)

『ダントンの死について』の中でも、男1は「退屈」を告白し、声4は男1の革命への行動も彼の「暇つぶし」にすぎないことを指摘しています。
この「退屈」は、世界への絶望に近いものでしょうか。
Langeweileという感覚はどこへいくのでしょうか。



2008年2月18日月曜日

お休みⅰ

本日、稽古はOFFです。
iwatoには行かず、自宅でテクスト読みの作業。

合間に、小倉孝誠『<女らしら>の文化史』を読んだ。
『ダントンの死』と直接的に関係のある内容ではないのですが。

年明けごろにビューヒナーの『ダントンの死』を読んだときに気になったのは、
マリオン・ロザリー・アデライドの3人の高級娼婦たちの存在でした。
革命という時代と娼婦の存在はどこで触れ合い共鳴するのか、またはしないのか。
ジュリーやリュシールというほかの女性登場人物も含めて『ダントンの死』の中で「女性」はどのような役割を持っているのか。

一般的にマリオンとういうキャラクターには、ヴィクトル・ユゴーも描いた歴史上の娼婦マリオン・ドロルムの名前が影響しているのだと言われているそうです。
マリオン・ドロルム(1613~1650)は高級娼婦(クルティザーヌ)としてサロンを開き有名になった女性です。
彼女のサロンは「官能的で、肉体美の栄光のために新しい犠牲を捧げる祭壇だった」とも言われています。
生涯最大の恋人はルイ13世の寵臣サン・マールで、二人は1640年に結婚する。しかし、サン・マールはこの結婚がもととなり(?)、叛逆罪で処刑されてしまう。ユゴーの描いたマリオン像は史実とは異なっているようで、実際にはマリオンはサン・マールの死にそれほど打撃をうけていなかったとか。。。

『ダントンの死』の読者もあるいはマリオンの名前を覚えていたかもしれません。
とはいっても、
『ダントンの死』を読む上で、マリオンのエピソードを史実だけから解釈するわけではないし、
『ダントンの死について』になれば、「女」の一連の流れをどう読んでいくのかはまたちょっと違う(きっと)。
たとえば、「女」はどうして部屋を自由に出入りできるのか。
どういう関係性において、「女」が自分のエピソードを語っているのか、なんていうのは分らないのです。

ということで、明日からの稽古がまた楽しみになる、そんな1日でした。
今日は、学芸川口智子の独り言。。。

参考:川田靖子『十七世紀フランスのサロン』

2008年2月17日日曜日

2月17日 1st Week 終了

稽古7日目
今日のMENU
本読み×3回
GAMEからの即興

舞台手前右手の壁に男1
それに向かいあう形で、手前左手の壁に男2
舞台後方の壁中央に女
後方の壁右手よりに鼠
女を中心に鼠と反対側、後方の壁左手に男3

本日3回目の本読みでは舞台上に5つの椅子が置かれ、
それぞれの役はそこからスタートする。
せりふをしゃべるときに立ち上がってもいいし、座ったままっでもいい。
せりふのないときに立ち上がってもいい。
ただし、ずっと舞台上にいること。

客席側で見ていると、役同士の関係性が明確に見えてくる。
23ピースのテクストが吸い付いてひとつの流れになる。

2008年2月16日土曜日

2月16日 テクスト①

本日のMENU
本読み
GAMEからの即興

本読みの最中、わからないところに付箋を貼っていったら、
読み終わるころ(約40分後)には
ピンクの付箋のビル街になってしまいました。

たとえば

・鼠
・女性のモザイク(これはビューヒナーの『ダントンの死』にも登場します)
・回転木馬
・女にとっての時の区切り(同)
・時間が俺たちを無駄にする(同)
・石になった唇がひっきりなしにとりとめのない戯言を喋り続けている。(同)

などなど。

俳優たちの発語を聞いていると、次から次へと「気になる」がやってきて、
自分ひとりでテクストと向かいあっていたときとはまったく違った視点での疑問その他諸々が浮かんできます。
客席側で「聞いている」ことの楽しさを感じてしまうとき。

数日前より、台本がWEB上で公開されています。
立ち寄り立ち読み大歓迎です。
作業ブログへのコメントもお待ちしています。

2008年2月15日金曜日

2月15日 ゲーム

本読み

GAME

GAME
テーブルを囲んでトランプをする四人。
なぜだかとってもノスタルジック。
音楽のせい? 照明のせい? それともトランプのせい?

一方でパレ・ロワイヤルとはどんなものだったかと夢想。

2008年2月14日木曜日

2月14日 バレンタインデー

昨日に引き続き、持ち回りのワークショップ。

KONTAさんは楽器を使った即興演奏。
リコーダー、ハーモニカ、ギター、その他はじめましてアジアからやってきた楽器たち。
自分の即興演奏とのセッション。

最終回の武内靖彦さんは、武内さんが考えている舞踏と身体のお話。
自分の中で、武内さんの言葉が勝手に反芻されてしみこんでいきました。

その後、
台本をつかって、
「ゲーム」

2008年2月13日水曜日

2月13日 今日は夜稽古

今日と明日は出演者による持ち回りのワークショップ。
トップバッターは滝本直子さんによるゲーム3つ。
どうやら数字に弱い出演者の皆さん+信さん?

次に水無潤さんによる腹筋。
30回×10セット=300回!!!
水無さんだけ見てると、とっても簡単そうなんですが...
しかも、水無さんは一時期これを朝・昼・晩の3回やっていたそうで、
一日に900回・・・!!!
人生でも900回も腹筋したことないかも。。。

最後に笛田さんのワークショップ。
舞台に立つとはどういうことか。舞台の自由とはどういうことか。

そしてテクスト読み。

東京は冷えて、きれいな星空。


 

2008年2月12日火曜日

2月12日 iwato3階

稽古はiwatoの3階でしています。
劇場とほぼ同じ大きさの稽古場。
南東を向いた大きな窓。グレーの遮光クロス。
黒い床。蛍光灯。

5人の身体。

〔本日の作業〕
ウォーミング・アップ
即興×2周

2008年2月11日月曜日

2月11日 こんにちは

鴎座 学芸担当の川口智子です。
『ダントンの死について』作業場日誌を(できるかぎり!)毎日更新していこうと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

さて、稽古二日目の今日は、初の台本読み合わせがありました。
今まではテクストとのにらめっこだったのが、一気に別次元にたちあがる、わくわくの時間。
台本はもう少ししたら(別にじらしているわけではありませんー。)、HPにアップされるかも?

稽古後、iwato近くのアジア料理屋さんで、みなさんでお食事。
神楽坂はおいしさが香る町で、今日のご飯もとっても美味しくて、みなさんお話もお酒もはずんでいました!!!

明日もどんな稽古になるのかドキドキしながら、今日はぐっすりと床につきます。